いじめている人vsいじめられている人悪いのは果たしてどちらか?

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いじめについて今でも意見が対立しているのはずばり、
いじめている人が悪いのかそれともいじめられている人が悪いのか です。
今日はそれについて自分の考えをまとめようと思います。

まず結論から言うといじめている側が圧倒的に悪いと思っています。

いじめられている側が悪という主張

ではまず、私とは反対の意見。
「いじめられている側が悪」という主張について考えてみる。
悪というと語弊が生じてしまうので言葉を改めるが、
この主張の人たちはいじめられている側に何らかの原因があるため、いじめている側に非がないという意見がとても多いです。いじめられている側が抱えている特徴は例えば以下の例です。

  • 空気が読めない

  • 自己主張が少ない

  • 物静か

  • 集団行動ができない

など。
そういった人は学校や会社でも浮きやすく、ターゲットにされやすいです。
でもこれは責任転嫁でしかなく、これがあるからと言っていじめていい理由にはなりません。
さらには、いじめられている側にそれを正すよう強要させる(いじめられないような振る舞いをするべき等)という考え方はもってのほかです。

そもそもとして、上記で上げたような特徴が悪であるとか、直すべきだとかいう考え方そのものがずれていると私は思っています。

いじめている人の特徴

ここでいじめている側にどのような性格的特徴があるか考えてみます。

  • 自己主張が強い

  • 声が大きい

  • リーダーシップがある

ここで注目したいのが「声が大きい」という点です。
単純に声が大きいということはほかの人に比べ、自分の意見が意図せず反映されやすいです。
声が大きく発言力のある人は、それだけで正しいことを言っているかのように他者には聞こえますが、その実、中身は空っぽの人も多くいます。
ここで大事なのがそういった人が集団の中でどのような立ち位置になるかという点です。
あえて言葉を選ばず言うと声が大きいと周りの意見や言葉を押しのけて意見を述べられるというのがあります。それが意図的にしろなんにせよ結果的にリーダーシップがある・頼れる・自分の意見を言える
として周りから認知される存在になります。

自分がこのことに気づけたきっかけは社内教育の講師をしたときでした。
その教育は講師をするのに本社の研修や認定が必要なぐらいのものなのですが、そのなかでいわれていたのが声の大きさです。
私ももともと声を大きく出すことが苦手でしたが、日常生活の中でボリュームを出して発声してみるとその効果の大きさに驚かされました。
自分の意見が通りやすいというのは単純に聞き取りやすいというのもあります。圧倒的に今までと比べ、聞き返される回数が格段に減りました。
そしてなによりもメンタル面です。ストレスフリーで話すことで快闊に滑らかに話すことができ、途中で突っかかったり、ごもったりする回数も減ります。それによって会話にスムーズさを生み、説得力が増す効果があります。

声が大きいということだけですべて集約されるわけではありませんが、今説明したような付随的な効果がたくさんあります。
どうでしょう?
あなたの身の回りにもこのような方はいないでしょうか?
決して「このような方々がいじめする傾向がある」と言いたいわけではありません。
ただその特徴を知っておくことは何よりもコミュニケーションを円滑に図るための近道だと思っています。

いじめは構造的な現象

そもそも心理学では、いじめは「構造的な現象」であるといわれています。
つまり、いじめられる側に共通の問題があるわけではなく、集団という構造そのものがいじめを引き起こしやすいつくりをしているということです。
集団組織の中では階級や役割、排他思考や同調圧力が生まれやすく、その結果いじめを発生させるメカニズムを形成させます。
この構造を理解せずにいるといじめを引き起こしやすい組織を知らずに作ってしまいます。

なぜいじめられる側に非があるという意見が多いのか

私はいじめている側に非が100%あるという意見ですが、
なぜこれまで「いじめられる側に非がある」という意見が多いのか自分なりに考察してみました。

  1. 過去にいじめた経験がある

  2. いじめている側の人数のほうが多い

  3. 同調圧力

3つ挙げました。1つずつ解説します。

1はわかりやすいですね。過去に自分が誰かをいじめた経験があり、
それを自分に非があると認めたくないためそういう論調になる、ということです。
過去の出来事は抹消することはできませんから、正当化するためには自分の行いには(いじめている側には)非がないと考えるほかありません。
この心理状態は理解できます。

次に2です。これは単純に個人的な考えなのですが
いじめている側の人数といじめられている側の人数の総数ではどちらが多いのかということです。
これは言わずもがなだと思いますが、いじめている側だと思っています。
いじめられている側が多数いて、少数人数でいじめられているという光景は私は見たことがありません。
単純にいじめている側が多いため、多数派的に意見が多いように感じるということだと思います。

最後に3です。これは2とも近いのですが、同調圧力によりいじめが助長される状態に陥るということ。実際にはいじめに加担せずとも、その場にいてみて見ぬふりをしたという方もいるかと思います。
いじめの現場にいただけの人であっても、自分がその場にいて何もしなかったという負い目を感じ、1と同様に自分を正当化するためにいじめられている側に非があると感じている人は多いかと思います。

まとめ

以上、まとめでした。
いじめている側の意見に立ってみると同情できる点もありますが、
それでも私はいじめている側が悪いと思っています。

責めるべきは鍵をかけなかった家主ではなく、空き巣である

と心から思います。
他者を思いやり、違いを認めることで少しでもいじめのない世界になっていったらいいですね

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